鎌倉時代に創建され、400年以上の歴史を誇るご本殿は、現在「葉山町の重要文化財」に指定されています。
晴れた日には、ご本殿より青く澄んだ美しい海を一望することができ、大変すがすがしいものです。
「まいられよ 子宝の福 さづかりに」と俳句に詠まれるほど古来より安産・子宝の篤い信仰があります。現在でも安産や子宝を願い、日本全国から多くの参拝者が訪れ、御神徳を仰いでいます。
参拝者にお札・お守りなどをお頒ちするところです。ご祈願のお申込みも授与所にて受付けます。
授与時間 9時~17時(年中無休)
個人や団体で昇殿参拝する方々の控え室としてご利用いただいております。
トイレ 授乳スペース おむつ替えシート完備
元暦元年(1184年)、源頼朝公が当社を参拝の折、三島明神から飛来し発芽したものと伝えられ、樹齢800年を誇る当社の御神木です。
古木が海上に乗り出した姿は非常に珍しく、葉山町天然記念物にも指定されています。
みぞぎ橋、もしくは神社裏手の階段を昇るとご覧になれます。
神社裏手磯辺の岩上に切り立つ見事な枝ぶりの松の木です。
源頼朝公が衣笠城に向かう途中、森戸の浜で休憩した際、岩上の松を見て「如何にも珍しき松」と褒めたところ、出迎えの和田義盛は「我等はこれを千貫の値ありとて千貫松と呼びて候」と答えたと言い伝えられています。
神社裏手の磯辺より沖合い700メートルに浮かぶ小さな島で、赤い鳥居が目印です。
名島の左側には「葉山灯台(裕次郎灯台)」があり、夕陽に照らされて茜色に照らし出される姿は大変美しく、時間をも忘れるほどです。
この森戸の海浜は、鎌倉時代に七瀬祓の霊所と定められ、事あるごとにお祓いやみそぎが行われたと「吾妻鏡」に記されています。
このような故事により、この海辺で「みそぎ」が盛んに行われ、神社から海辺に通じる橋を「みそぎ橋」と呼ぶようになったと言い伝えられています。
「みそぎ」とは重大な祭事の前に海水を浴び、罪穢を祓いのけ、身を洗い清めることです。神社入り口を右方向に曲がるとご覧になれます。
マルチーノ公使・ベルツ博士は葉山が黒潮の影響で冬は暖かく夏は涼しい温暖の地で、風光明媚であるということに注目し「葉山」が保養の地として最適であると皇室に進言し、明治27年に葉山御用邸が造営されました。その功績を称えて建てられました。
明治天皇 海辺雪 歌碑
「波のうへに 富士のね見えて くれ竹の 葉山の浦の 雪はれにけり」
照憲皇太后 里神楽 歌碑
「くれ竹の 葉山の宮に きこゆるや 森戸あたりの かぐらなるらむ」
神社裏手の海岸入り口には、湘南で青春を過ごし、この地をこよなく愛した俳優、故石原裕次郎さんの記念碑があり、今も多くのファンが訪れています。
石碑には裕次郎のブロンズ像、石原慎太郎氏自筆の詩が刻まれています。
「夢はとおく 白い帆に のって 消えていく 消えていく 水のかなたに太陽の季節に 実る狂った果実たちの 先達 石原裕次郎を 偲んで」平成元年7月17日 石原慎太郎
ヨットマンだった石原裕次郎さんの三回忌を偲び、1980年から1993年まで日本外洋帆走協会の会長を務めた、兄の石原慎太郎さんが約1億円の基金を集めて建設しました。灯台のプレートには「海の男 裕次郎に捧ぐ 葉山灯台」と刻まれています。
晴れた日の夕暮れ時に足をお運び下さい。
神社裏手の海岸入り口からは、夕暮れの時刻になると江ノ島、伊豆や箱根の山並み、富士山をも包み込むようにして空が茜色に染まり、それが海に照らしだされ、刻々と変化するその光景は大変美しいものです。
「車祓所」にて交通安全祈願のご祈願を受付致しております。
本殿内にてご祈願の後にお車をお祓いします。
詳しくは社務所までお問い合わせ下さい。
046-875-2681(受付時間 9時~17時 年中無休)
遠浅で波穏やか、砂浜が広く葉山で最も有名な森戸海水浴場があります。
海岸からは伊豆半島や、富士山、江ノ島も見える景勝地。
夕暮れ時の「森戸の夕照」は「かながわの景勝50選」に選ばれており、美しい景色を望むことができます。
相模湾越しの富士山はまさに絶景。
気象条件がよければ年に2回(4月と9月)に「ダイヤモンド富士」を見ることができます。
「ダイヤモンド富士」とは、太陽が富士山山頂に重なる時の現象で、その現象は太陽が昇る瞬間と夕日が沈む瞬間に現れます。
三浦半島からは太陽が昇る姿は撮影できませんが、日没時に富士山と光輝く太陽が織りなす光景はまさに自然の芸術、全国各地からプロアマ問わず、多くのカメラマンが奇跡の瞬間を写真に収めるため訪れます。
子宝石をお受けになり、赤ちゃんを授かったご夫婦がご出産の後、お宮参りに合わせて子宝石をお戻しいただく場所です。
納める際は、子宝石へお子様のお名前をご記入いただき、お子様が石のように丈夫でありますよう願いを込めてお戻しください。